『さて、町はクリスマスのイルミネーションで彩られており……』
テレビから垂れ流されてくるこの時期特有の決まり文句を右から左へと聞き流しながらアギトはふと、疑問を感じた。
「何でみんな同じような恰好をしてんだ」
テレビ中継されている向こう側では、皆一様に、赤と白をメインの色使いとしたコスチュームに身を包んでいる。
「変な風習があるもんだなー」
体重を後ろに掛け、ソファに身を沈めて天井を見上げた。
そこには何もない、ただの天井があるだけ。
しかし、以前の暮らしを続けていたらこのような光景を目にする機会があっただろうか。
テレビから流れてくるクリスマスソングをBGMにアギトは何もない天井を見つめた。
思えば八神家に迎え入れられてもう随分と経ってしまった。
今ではすっかり馴染んだこの生活だが、時折昔のことを思い出してしまう。
こうやってただ天井を見ることには何にも意味はない行為だろう。
だが、こうすることが出来るという環境が――
「アーギートーちゃんっ! 何してるですか?」
「っうわっと!」
崇高な思考はしかし突然の邪魔ものによってそれどころではなくなった。
不意を突かれて飛び起きたアギトは振り返り、そいつを忌々しく見やった。
「ったくいつもいつもお前は人の安らかな一時を邪魔しやがって」
ふわふわと浮遊する小さな人物。そいつはてっぺんから飛び出した髪の毛の束を揺らしながら、一瞥をくれてやっても動じるどころか口元をにやけさせている。
リインは腰に手を当てながら言い返した。
「はぁ〜、これだからアギトちゃんは。このくらいのことで動揺してたら身が持たないですよ」
「てめえが余計なことしなきゃいいんだろうが」
溜息を吐きつつ、起き上がってリインに向き直った。
大きく開かれた両目はしっかりとアギトを見つめてくる。純粋に真っ直ぐ見つめてくるリインの話し方には若干抵抗を感じる。嫌なわけではないが、アギトからすると居心地が悪くなってしまう。その原因は照れから生じていることにアギト自身はまだ気づけていない。
「それで、お姉さんに何を聞きたいのかなアギトちゃんは」
口元に笑みを浮かべながら胸を反らして、リインは訊ねた。
「別に、もう興味なくなっちまったよ」
そっぽを向いてリインの質問を一蹴したアギトはその場を立ち去ろうとする。
「ふむふむ、なるほど。サンタさんの格好に疑問があると」
「ってちょっと待て。誰がそんなこと言ったんだ」
立ち去ろうとした意志も、リインの聞き捨てならない一言で打ち砕かれた。
誰があんな紅白の衣装に興味があるというのだ。しかもあんなにスカートの裾が短くて、さわり心地の良さそうな帽子を被って、可愛らしい毛糸玉が所々にあしらわれている衣装なんて全然興味無い……はずである。
「疑問があるなら着てみればいいですよ」
「はあ? な、何言ってんだよ。着るわけないだろっ! そもそもこんな衣装が直ぐに用意できっこねーっつーの」
リインの予想外の提案にアギトはうろたえた。しかし、衣装がなければ着ることも出来ない。それだけはどうすることも出来ない問題である。
「あらー二人してどうしたの? いつも仲良しさんね」
リビングの扉が開き、笑みをたたえながら女性が入ってきた。金髪のセミロングの髪はウェーブが掛かっており、その髪の隙間からは品のあるイヤリングが垣間見え、歩く度に光を反射し、その存在感を主張している。
「何やら揉めているようね、どうしたのリインちゃん?」
雰囲気を察したシャマルはリインに訊ねた。
「アギトちゃんがサンタさんの格好をしたいそうです」
「ちょ、ま、っ待てーー!! 誰がそんなこと――」
がしっ!
反論しようとするアギトであったが、突然鷲掴みにされてそれどころではなかった。
シャマルは小さなアギトを握り潰さんばかりの勢いで捲し立てた。
「本当に!? アギトちゃん素晴らしいわ。もう感動よ! いやーやっぱりアギトちゃんにはその才能があるんじゃないかと思ってたのよねー」
勝手に盛り上がるシャマルに反比例するようにアギトは事態を把握できずにいた。何やら雲行きが怪しくなってきたのだけは感じ取れるが。
だが、肝心な問題が残されたままである。それがアギトにとての最終防衛ラインである。そこを突破されてしまったら後は場の勢いに押し負けてしまうだろう。
アギトは必死に抵抗し、切り札を出した。
「でも、衣装なんてそんな簡単に用意できないだろ」
「あら、あるわよそのくらい」
アギトの中で何かが崩れる音がした。
最早逃げ道はないのだろうかともう一度だけ確認をした。
「え? あるの?」
「あるわよ」
逃げ道はなかった。
「ささ、はやく子供くらいの大きさに変身して頂戴」
シャマルは笑っている。怖いくらいに満面の笑みである。
「いや、でもあれは燃費悪いから……」
「……」
シャマルの無言のプレッシャー。
何も言わずに微笑むだけとうのもそれはそれで十二分に怖いのであった。
「……わかりました」
アギトに残された手段は大人しく従うことのみであった。
「じゃーん完成ー」
白と赤を基調としたワンピース、丈はもちろん膝上20p、白い毛玉の付いた帽子は衣装の魅力を引き立てるのに一役買っている。
シャマルによって無理やり全身コーディネートされたアギトは最早沸騰寸前までに顔を赤らめている。
「アギトちゃん、とっても可愛いですよー」
端から見ているリインは気楽なもので、ちょっかいを出す余裕まで見せている。
「う、うるせー。こっち見んな」
耳まで真っ赤にさせてうつむいてしまう。
スカート裾を懸命に引っ張って伸ばそうとしているが、ささやかな抵抗であろう。その露わになった白い太ももは決して隠れることがない。
「はーい、じゃあ写真撮りまーす」
パシャ。
シャマルは突然カメラを取り出した。焦ったのは当然アギトである。
「な、何で撮るんだよ。ってかそんなもんどっから出したー!?」
うろたえるアギト。
撮りまくるシャマル。
傍観するリイン。
この構図は覆りそうになかった。
「いいわよーアギトちゃん。はいもっとしゃがんでみようかー」
それにしてもこのシャマルノリノリである。
鼻息荒く、口元をにやけさせ、シャッターを切ることに夢中である。
「わ、そ、そんなとこ撮るなって。み、見えちまうだろうがっ」
アギトは慌てて裾を押さえる。だが、抵抗空しくシャッターは無情にも切られていく。
いつまで続くのだろうか。アギトがそんな疑問を感じ始めた。だんだんと感覚が麻痺してきた気がする。徐々に撮られることに抵抗感がなくなっている。
ん、少し気持ちいいかも……。
アギトの中に今までとは違う感情が芽生えた。
「お、おいそんなところダメだってば……、恥ずかしいじゃんかよ……」
もっと撮って欲しい。可愛く取って欲しい。でも恥ずかしい。
そんな複雑な感情が織り交ぜになって、とうとうアギトはーー
「きゃーアギトちゃん。どうしたの!?」
「わわっ、大変です」
――倒れてしまった。
しかしシャッター音は止むことがなかった。
「こ、これがサンタの格好か……」
暗い部屋で一人、アギトは写真を眺めていた。
焼き増しされた写真はどれもこれもが、アギトがサンタの格好をしており、中には際どいアングルのものも含まれている。
「か、可愛いな……。って何言ってんだ! 自分の写真だぞ」
暗闇で一人突っ込む。
しかし、にやけた顔は中々元に戻らない。終始眺めてはにやけることの繰り返しであった。
アギトは何かに目覚めてしまったのかもしれない。そしてそれは全てシャマルの思惑通りであろう。