「退院おっめでとーーー!!」
高らかな声と共にグラス同士が打ち鳴らされた。
「エイミィ少しはしゃぎ過ぎだぞ」
乾杯の音頭を取ったエイミィをクロノが嗜めた。
「いいじゃんいいじゃん。こういうのは派手にぱーっとやんないとね」
ねっ、とエイミィは人差し指をクロノに突き出す。
「はー……、まぁたまにはこういうのも悪くはないか」
「おお、珍しくクロ助が素直だ。こりゃ明日辺り雪でも降るんじゃないかな」
嘆息しながらもやや納得した様子のクロノに対して、エイミィは腕組みをして唸りだした。
「大げさだな。僕だって素直な時だってあるさ」
「うーんもしくは槍が降ってきたりして」
「おいエイミィ。人の話を」
「はたまたアースラでも落っこって来」
「人をバカにするのも大概にしろぉおお!!」
ついに我慢の限界がきたクロノがテーブルを叩きながら立ち上がった。いくらなんでもアースラは落ちてこないだろう。
「ク、クロノ落ち着いて」
「うふふ、賑やかで楽しいこと」
その様子を傍から見ていたフェイトはおろおろしながらもクロノをなだめようとするが、リンディにいたっては朗らかに微笑んでいるだけである。
「アルフもそう思うでしょ」
クロノの怒声を気にも留めずに、エイミィはアルフに話を振った。
「……」
「アルフ? どうしたの。傷がまだ痛むの?」
「え、ああいや。ちょっとぼーっとしちゃってさ」
アルフは慌てて顔を上げ、苦笑を浮かべた。
「ほんとにー? 念のために唾でもつけとこーか」
「いや、ほんとに大丈夫だから。ね?」
唾という単語に若干引き気味にアルフは首を振った。もちろん冗談だろうが、エイミィならやりかねないから恐ろしい。
「あーそういえばどっかで聞いた話なんだけどおしっこかければ直るんじゃなかったっけ?」
「それはちょっと違うだろ」
呆れたようにクロノが口を挟んだ。
「よし、行けっ! クロノ君!!」
「誰がそんなことするかぁああ!!」
クロノは拳を振るいながら声を張り上げた。さすがに許せる冗談とそうでないものがあるだろう。そもそも女性がそんな単語を軽々しく口にするもんじゃない。
「ク、クロノ。お、女の子に手を出しちゃだめだよぅ」
クロノの怒声に気圧されながらも、フェイトは懸命に兄を説得した。
「そうよークロノ。女の子に手を上げるなんて言語道断。そんなことしたらどうなるかわかってるわよねー」
うふふと爽やかな微笑をたたえるリンディの背後には見えないはずのオーラが浮かび上がっている。ごごご、という効果音付で。
「も、もちろんそんなことするわけないさ。ただちょっと冗談がきつかったかなーって思っただけさ」
平静を取り繕ったクロノであったがその額に浮かんでいるのは冷や汗ではないだろうか。
そんな微笑ましくもバイオレンスなやり取りをよそに、アルフはずっと物思いにふけっていた。
宴もたけなわ。エイミィの合図を機に卓を囲んでいた皆がそれぞれ席を立った。
「あ、エイミィ片付け手伝うよ」
食器類を手にキッチンへ行こうとしているエイミィにアルフは声をかけた。だが、同じタイミングでアルフは後ろから声をかけられた。
「アルフ。ちょっといいかな」
「え、どうしたんだいフェイト?」
振り返ればフェイトがいた。優しい視線だが、その瞳は一心にアルフに向けられていた。そのフェイトの態度にアルフが口ごもっていると、フェイトは言葉を続けた。
「直ぐ済むから。ね……?」
諭すように、だが断るのを許さない態度でフェイトは言葉を吐き出した。
「ああ、わかったよ」
普段とは違うフェイトの態度に気圧されたアルフは渋々従った。
「アルフ。何か言いたいことあるんじゃない」
直球ど真ん中。フェイトは大人しい性格だが、思ったことはきちんと伝える。たとえそれがつらいことであっても。
アルフは一瞬ためらったが、フェイトの言葉に根負けして口を開いた。
「気づかれちゃったか。さすがあたしのご主人様だ」
自分の考えを見透かされた悔しさと、それに気づいてくれた嬉しさがアルフの中で同居し、複雑な表情を浮かべる。
「単刀直入に言うよ」
遅かれ早かれ、いつか伝えようとしていた思いをアルフは口に出す。
「フェイト。あたしと戦ってくれ」
飾り気のない言葉。アルフはフェイトの横顔を見つめながら自らの想いを言葉に乗せた。
フェイトがアルフを振り返った。頭の両側でまとめられた金の髪がふわりとたなびく。二人はお互いを見つめる。沈黙を先に破ったのはフェイトだった。
「本気なんだね」
ゆっくりと訊ねた。その瞳からはフェイトの複雑な感情が読み取れる。悲しいのだろうか、怒っているのだろうか、はたまた嬉しいのだろうか。様々な感情がフェイトの中で交錯する。
フェイトの問いかけにアルフは答えなかった。ただただ一心に、フェイトから視線を外そうとせずに見つめている。
「わかった。理由は今は聞かない。アルフが決めたことだもの。そして何より私にはそれに答える義務がある」
「ありがとう。フェイトならそう言ってくれると思ってたよ」
お互いがお互いを想い合う。満足げに微笑む二人はどこか嬉しそうだった。まるでそうなるべくしてなったとでも言うかのように。
■□■□■
見渡す限りの荒野。切り立った崖。荒んだ大地に吹きすさぶ風が肌を掠めていく。
少女が一人、突出した岩の上に立っている。
漆黒のマントに身を包み、金色の髪をたなびかせて。その手に握られている相棒はいつもの戦斧の形を成してはいない。見るも巨大な大剣。少女の身長の何倍もあろうかという程の大きさであった。
『フェイトちゃん。もう直ぐアルフがそっちに行くからね』
突如通信が繋がった。エイミィの通信にフェイトは答える。
「うん、わかった。もうこっちの準備は出来てるから」
静かに、だがはっきりと答える。その表情からは何も読み取れない。ただ真剣に、思いつめていて、消え入りそうな悲しい表情に見える。
『無理しないでね、怪我でもしたら大変なんだから……』
エイミィは心配そうに言った。フェイトはありがとう、と答えると前を向き直った。
微かな魔力反応の後、眼前に魔方陣が展開される。その魔方陣の上に光の粒子を伴ってアルフが出現した。
狼の形態ではなく人間の形態であった。
「おまたせ、フェイト」
アルフはいつもの調子で、だが一言を噛み締めるように言葉を吐いた。
「その形態でいいの?」
フェイトはアルフの人間形態を見て尋ねた。
「ああ、最近ではこっちでいることのほうが多いからね。こっちのほうが慣れていて動きやすい」
少しはにかんでアルフが答えた。
フェイトはそう、と頷くと少し微笑んだ、気がした。
「フェイト……、ありがとう。本気なんだね」
アルフはフェイトが手にしているものを見て微笑んだ。
フェイトが手にしているのはフルドライブモードのバルディッシュ。それにはフェイトのこの戦いへの意気込みが込められていた。決して手加減はしないと。やるからには全力で、本気でぶつかりたいという想いが。
しばしお互い見つめ合う。
視線が交錯するのを皮切りに二人は動き出した。
フェイトは左手に意識を集中させて、掌に金色の球体を形成した。それをフェイトは眼前にかざす。
すると瞬く間に前方に環状魔方陣が展開された。数は三つ。加速、照準、威力強化に役割分担された魔方陣が効率よく運用される。魔方陣の回転数が高まるにつれて、フェイトの周囲の魔力が研ぎ澄まされた音とともに高まっていく。
「プラズマッ!」
一歩踏み込むと同時に解き放った。
「スマッシャーーッ!!」
放たれた光の砲撃は粉塵を巻き上げながら一直線にアルフへと向かっていった。
「くっ!」
アルフは後ずさりながらもフェイトの砲撃をシールドで受け止めた。シールドと砲撃との間で力が拮抗し、魔力がぶつかりあってあたりが魔力光できらめいた。
ようやく凌ぎきったアルフはシールドを解除しようとしてその手を止めた。巻き上げられた砂塵が晴れたその先にフェイトの姿は見えなかった。
――どこにいった?
考えるより早く、見つけるより先にフェイトは現れた。アルフの背後に。両の手で大剣を握り、大きく振りかぶっていた。下半身をしっかりと接地させ、上体を力の限り捻って振り回した。高速の光刃がアルフを襲う。
「予想済みだよ」
それをアルフは半身にし片手で受け止める。だが、片手で受け切れる程生半可なものではない。すぐさまシールドに亀裂が生じ、大剣が食い込んでくる。それを見てアルフは冷や汗を掻き――笑った。次の瞬間、
「おりゃぁあああ」
気合とともに突如アルフがシールドを自ら破壊した。それも豪快に。
瞬く間に砕け散ったシールドは粉々になり魔力光を伴いながら空を舞った。それも異常な程の魔力光を発しながら。
「くっ、しまった――!」
フェイトは悟った。アルフが目くらましにシールドを解除したことを。それも大量の魔力を込めながら。
しかし、振り下ろした大剣の速度は既に止めることができない程に加速していた。そしてそのままの勢いで振り下ろされる。
当然その刃は相手を捕らえることなく空を切り、地面に突き立った。
その隙をアルフが見逃すことなく襲い掛かる。魔力で上乗せした拳を振りかぶって打ち下ろした。
「はぁあああーー!!」
《Sonic
Move》
突如発せられた電子声音。黒い残像を残してフェイトの姿は消えていた。当然アルフの拳は何も捕らえなかった。
砂塵が晴れる。アルフは唇を噛み締めながら前を見据えた。そして愕然とする。
雷を伴った光球が八基。フェイトの周囲に形成されていた。一つ一つのスフィアの中心には圧縮された魔力の塊、槍上の刃がセットされていた。
フェイトがアルフに照準を定める。周囲のスフィアから電気が迸り、空中の光球が光りだす。
アルフはすべての刃が自分に向けられている状況に戦慄した。だが、それに備える余裕はなかった。
「ファイアッ!!」
スフィア体から金色の刃が一斉に放たれた。枷から開放された刃たちは、乱れることなく空気を裂きながら一直線にアルフへと向かっていく。
アルフはとっさにシールドを展開して、受け止めるが、中途半端に展開された障壁では強度が不十分であり、直ぐに崩壊した。高速の弾丸はシールドを破壊して容赦なくアルフの身体を襲った。
「ぐぁっ――!!」
アルフは痛みに苛まれながら衝撃に吹っ飛ばされた。数メートル後退させられたアルフは受身をかろうじて取れたものの、魔力と体力を大幅に削られていた。片膝を地面に付き、肩で息をしている様子から相当に堪えたようだ。
アルフはフェイトを見据える。直ぐにでも追撃が来るかとも思ったが、それはなかった。意外なことにフェイトは愛機であるデバイスを手にして、アルフを見ているだけだった。しばし沈黙が訪れる。先に口を開いたのはフェイトだった。
「本気……出しなよ」
アルフは決して手を抜いているわけではなかった。むしろ自分の主であるフェイトだからこそ全力で戦っていた。だが、見透かされていた。確かにまだ出してない手はあった。まだフェイトも知らない技であった。
アルフはそれに不敵な笑みで答えた。アルフは掌の力を抜き、指先のみに意識を集中させる。
ガントレットを装着した指先の周囲の魔力が急激に高まりだした。そしてそれは橙色の鋭利な爪となって具現化する。
アルフは腕を後ろに振りかぶった。そして気合とともに全身のバネを駆使して前に押し出した。
「ガスティーネイルッ!!」
五本の鋭く尖った爪がオレンジの残像を残しながら一直線に飛翔する。そしてその延長線上には当然フェイトがいた。獰猛なまでに疾走する刃はフェイトに回避行動を取る時間を十分に与えなかった。
フェイトは寸でのところで身を翻して凌ぎきる。だが、次弾に対する警戒はできなかった。フェイトは決して油断したわけではない、単純にアルフの放つ刃が貪欲なまでに速かったのだ。
フェイトは避けていては間に合わないと判断し、防御魔法を展開する。金色のシールドに橙色の刃が失速することなく衝突する。
一本目がシールドにひびを生じさせ、二本目は突き立ち、三本目はいとも簡単にシールドを粉砕した。そして立て続けに四、五本目がフェイトの頬と太腿を強襲する。
「くっ――!」
フェイトは思わず痛みに声を漏らした。頬からは微かに鮮血が滴った。
「どうだい、高速機動戦用に用意した技は」
にやりと口角を上げると再び腕を振りかぶった。
「ガスティーー」
その時アルフの目に映ったのは漆黒の幻影だった。遅れて金色の尾を引いて実体が現れる。
フェイトは僅か一歩で数メートルの間合いを詰めていた。しかしそこでフェイトの動きは止まってしまう。
バルディッシュを構えたフェイトの両手首にオレンジ色のバインドが仕掛けられた。大剣を握る手首に容赦なく襲い掛かる橙の楔は、緩むことなくがっちりと固定される。
「掛かったね」
アルフがポツリと呟く。
設置型捕獲魔法。アルフはフェイトが踏み込んでくることを予想していてあらかじめ眼前の空間にセットしていた。自分がフェイトの近接戦闘の間合いにいることは十分承知していた上での行動だった。そして自分が技を出す隙を見せれば必ず飛び込んでくることも予想して。
「くっ、このくらいの拘束なんて簡単に」
フェイトは集中すると全身に力を込めた。するといとも簡単にバインドから抜け出す。
「そう、フェイトならこのくらい簡単に抜け出せるよね」
アルフは右手をフェイトに向けてかざしていた。かざした手の前方にオレンジ色の魔方陣が展開されている。
「チェーンバインドッ!!」
そこからリングが何本も繋がった鎖が幾重も飛び出した。
「くっ――!」
フェイトは必死に後退する。しかしそれを殺到する鎖たちが許さなかった。フェイトは十分な後退を許されずに鎖の奔流に飲み込まれた。
拘束魔法の二連運用。遅延発生型で瞬間的な拘束力に長けるリングバインドで時間を稼ぎ、同時に展開させていたチェーンバインドで確実に相手の動きを封じる。相手を確実に拘束するための行動であった。
フェイトはそれでも飛翔しようと必死に抵抗する。だが、乱暴に絡まった鎖によって空中で身動きが取れずにいる。
「うわっ!!」
ぐん、とフェイトは不意に引っ張られた。
その先にはアルフがいる。アルフは発生させたバインドを左手で握り締めて思いっきり自分のほうへ引きつけていた。そして両足を地面にしっかりと据えつけて、右手の拳を握り締めた。
「まさか……」
フェイトは無防備な体勢のままアルフに向かう途中、その動作を見て冷や汗を掻いた。
アルフはバインドを手にしていないほうの右手をぐるんぐるんと大きく回し始めて、
「せーの……おりゃあぁあああああ!!」
殴った。
魔力付与された拳が思いっきりフェイトにヒットした。
ばきん、という甲高い音と同時に、フェイトは引っ張られた道を逆戻りする形で吹き飛ばされた。
「うわーフェイトちゃん派手に吹っ飛ばされたなー」
画面に展開された戦闘を眺めつつコンソールを操作していたエイミィが呟いた。だが、声色からはあまり心配しているように聞こえない。
「あの様子だと直撃かなあこりゃ」
「いや、きちんと反応していたよ。ここを見てみな」
エイミィの背後にいたクロノが口を挟みつつ、パネルを操作して先の戦闘シーンを巻き戻した。
そこはチェーンバインドで拘束されたフェイトがアルフに引っ張られているところであった。直後アルフの拳がフェイトに叩き込まれる。
「ここだ」
クロノは再度巻き戻して、今度はスロー再生にした。
「あ、ほんとだ。フェイトちゃんしっかりガードしてるじゃん」
フェイトは直前でバインドから抜け出していた。引っ張られている最中、冷静に拘束から脱出する機会を窺っていたのだ。そして、一瞬の鎖の緩みを利用し一気にバインドを破った。そしてとっさに、必要最低限のシールドを手の平に形成しアルフの拳を受けていた。
しかし完全に衝撃を受け流すことは出来ずに後方へと吹き飛ばされていた。
「だが、相当な衝撃だったのには違いない。おそらく結構魔力を持っていかれただろう」
「そうだねー。ガードできても魔力は消費するからね」
キーを叩きながらエイミィは二人の体力値や魔力値を表示していく。
それにしてもさ、とエイミィは切り出した。
「二人の戦いをよくオッケーしたよね、クロノ君は反対すると思ったんだけどなー」
「あの二人なら大丈夫さ。きっと終わったらまたいつもの二人に戻ってる」
クロノは確信めいた口調で呟いた。
「まあ、そうかもしれないね」
戦いは長引いていた。
お互いがお互いの距離で戦っている。フェイトは近接戦闘へ一歩で持っていける中距離から牽制し、アルフはフェイトの高速機動を追いつつ、僅かな隙も見逃さずにガスティーネイルを放ち追い詰めていた。
両者ともそろそろこの戦いに決着を着けたいと思い始めていた。体力、魔力共に限界が近づいている。
アルフは自分の残量魔力を確認し、軽く舌打ちをした。
「ちっ、そろそろキツくなってきたかな」
アルフは不意に空中で停止した。残りの魔力のことを考えると、決着を着けるなら今しかないと思ったのだろう。
足を止めたアルフは詠唱を開始した。瞬く間に足下に巨大な魔方陣が浮かび上がる。
その様子を見たフェイトは、同じく足を止める。懐に潜り込んで近接戦闘に持ち込んでもよかったのだが、アルフの気持ちに、全力に対してはやはり全力を持って答えたかった。
フェイトも詠唱に入る。金色の魔方陣が足下に広がっていく。
それを見たアルフは急に空を蹴った。一直線にフェイトに向って疾走する。
「――嘘! あんな巨大な詠唱魔法がこんな短時間で終わるわけないてん……」
フェイトは驚愕する。先程アルフが展開した魔方陣は相当な大きさであった。つまりそれ相応の大魔法であることは間違いないはずだが、アルフはものの数秒で詠唱を完了させたのだ。驚愕は直ぐに疑惑に変わった。それ程までにアルフの詠唱は速かった。
飛び出したアルフの背後、極僅かな魔力反応が生じた。魔方陣を展開していた中心の空間が煌き、金色の光が霧散した。
「やっぱりね。フェイトなら仕掛けてくると思ってたよ」
アルフの余裕の笑みにフェイトは唇を噛み締めた。
フェイトは大魔法を発動すると見せかけて、実際には拘束魔法を設置していた。そしてアルフの動きを制限してから確実に大技を当てようとしたのだ。アルフの行動が少しでも遅れていたならば、拘束魔法に絡め取られていただろう。
アルフは一気に加速した。
「――まずいっ、バルディッシュ、防御っ!」
《Yes
sir》
フェイトは咄嗟に発動シークエンスを中止し、アルフの技に備えてバリアを形成する。
接近したアルフは拳を振り上げ、フェイトめがけて振り下ろした。そして気合とともに叫ぶ。
「チェーンバインドっ!!」
「――っ!!」
橙色の鎖の束を見て、フェイトは嘘を突かれた。鎖の本流がフェイトをバリアごと飲み込み、がっちりと拘束する。
「これでゆっくり詠唱できるね」
アルフが口元をにやりと吊り上げると、再び魔法陣を展開した。
「くっ、やられた!」
フェイトが歯噛みしている内にアルフは次々に発動シークエンスをこなしてゆく。
「いくよ、これがあたしの全力だよ」
アルフは天に腕を突き上げた。そして最後のトリガーを詠いだす。
「天よりの絶望の叫び……、我が命に応え焼き尽くせ!」
アルフはフェイトを見据えた。フェイトも目線を前に向ける。覚悟を決めた二人の視線が交錯する。そし躊躇うことなくアルフは腕を振り下ろした。
フェイトは最早抵抗が不可能と悟ったのか、本能的に腕を前に押し出して自分の身を庇った。
「ディザスターロ――っ!」
詠唱が不意に止まる。アルフは一点を見つめていた。アルフの視線はフェイトに向けられていて、その焦点はフェイトの腕にあった。
赤く滲んだガーゼ。その細い右手の二の腕には白いガーゼが当ててあった。
今さら負傷の一箇所や二箇所を気にするわけではなかったが、その傷を見逃すことなんてアルフには出来なかった。
自分の身を守るためにフェイトが負った傷。
その事実が重くのしかかる。
しかし、この僅かな気の迷いを目の前の少女は許してはくれなかった。
「――はぁああああっ!!」
バインドに一気に魔力が流れ込み、砕け散った。
「――っ! しまっ――っ!!」
「遅いっ!」
事態の深刻さにアルフが気がついた時点で既に手遅れだった。両腕両足をしっかりとバインドで固定されており、しかもフェイトは詠唱に取り掛かっている。
「今度はこっちの番だよ」
フェイトの足下に金色の魔方陣が現れ、さらにそれが一気に拡大した。
「――!」
先程展開したものの比ではない大きさにアルフは愕然とする。
「これが今の私に出来る最大魔法」
アルフの周囲を取り囲む様に球体スフィアが出現する。発光したスフィアからは網目状に電撃が走り、スフィア同士が電撃を介して結合した。
「これは……やばいっ――!!」
発動シークエンスをこなし、フェイトは最後の発射トリガーを詠いだす。
「聖なる意志よ、その慈悲深き御心を以て薙ぎ払え!」
アルフの周囲の空間に火花が散り、スフィア体から雷撃が迸る。そして天空からスフィアの中心目がけて光の柱が下りてくる。
「ディバインセイバーーーー!!」
光の柱は瞬く間に雷の奔流となってアルフを飲み込んだ。怒号が轟き、空気が振動する。アルフを突き抜けた落雷はそのまま地面に衝突し、巨大なクレーターを形成した。
アルフの視界は光の渦に飲み込まれて真白になり、次第に意識は遠のいていった……。
■□■□■
「そいつに触れるな、災いが乗り移るぞ」
「しかたないな、置いてくほかあるまい」
「おいさっさと行くぞ」
雨が降っていた。
高原で一匹だけ取り残された狼。額にひし形の宝石が埋め込まれている特殊な種族であった。
「……ちくしょう。みんなであたしのこと置いてきぼりにしやがって……」
群れに置いてかれた狼は悔しかった。雨に打たれ、息も絶えだえになりながらも必死に呼吸を繰り返す。自慢の喉からはひゅーひゅー、と情けない音が漏れるだけだった。
「こんなところであたしは死ぬのか……」
その時その狼に何か温かいものが触れた。冷たくなったその身には酷く温かい。
「大丈夫っ!? どうしよう……この子震えてる」
人間の手に触れられているのに気がつくまでに酷く時間が掛った気がする。
そればかりか、狼ともあろう自分が人の気配に今まで気がつかなかったことに驚いた。それ程までに衰弱しきっているということだろうか。
――あたしに気安く触るんじゃないよっ!
最早声を出すのも苦しくなる。まぁ声をだしたところで人間にはただの唸り声にしか聞こえないんだろうけど。プライドなんてとっくにあってないようなものだった。
「どうしようリニス。この子死んじゃうよっ!」
金色の髪の少女は酷く取り乱している。
――あたしのことなんてほっといてくれよ。
悲痛な叫びはしかし誰にも届かず、雨音に吸い込まれていった。
次に目覚めた時は使い魔としてだった。
最初は少女がなぜ自分を助けたのかわからなかった。ただ、一つだけ確かなことがあった。彼女が自分のことを必要としてくれたのだ。そして、自分はそれに精一杯答えなければいけない。アルフはその時そう思った。
■□■□■
「…………フ! ……ルフ! アルフっ!!」
声が聞こえる。かなり近くで呼んでいるのか、それともかなりの大声で叫んでいるのか。距離感がいまいち掴めない。ただ、酷く心配されていることだけは確かなようだ。
「アルフっ! しっかりして、大丈夫!?」
肩に添えられた手から力が伝わる。アルフはようやく自分が抱き起こされていることに気がついた。
――大丈夫だって、今起きるから。
そう言おうとしながら体を起こそうとする。
「――つっ!」
しかし、思うように動かすことができない。魔力は底を尽き、体力も無くなり、心身ともに疲弊しきった体はちっとも言う事を聞いてくれなかった。
「無理に動かなくていいから」
いつだって優しい言葉をかけてくれる主。
「そっか……あたし、負けちゃったんだ」
非力な自分を悔やんだ。
敗北。
この二文字はアルフにとってとてつもなく重かった。これは自分の存在意義を賭けた戦いであった。だが、たった今負けてしまったのだ。
「もうあたしにはどこにも居場所がないんだね……」
言葉にして改めて痛感する。自分が負けたことを。そしてその意味を。
「本気で言ってるの?」
「え?」
フェイトの思いがけない強い口調に、アルフは一瞬戸惑った。
「もし本気だったら、許さないよ」
真っ直ぐに見つめる瞳にはほんの少し、涙が浮かんでいる。
「フェイト……」
「アルフの居場所はちゃんとあるんだよ。守るっていうのは何も戦闘だけじゃないんだ」
フェイトはアルフを抱きしめた。息が苦しくなる程強く。もう二度と離さないように。
「アルフには……私の帰る家に居て欲しい」
そのままの体勢で穏やかに言葉を紡ぐ。
「そして私が帰ってきたら、安心できるように言って欲しいんだ」
■□■□■
日は沈み、時刻は夕方。
高層マンションのキッチンでは着々と本日の夕飯の支度が進行している。その脇でせかせかと動き回る子供。その子供は犬のような耳を生やしているだけでなく、尻尾も備えている。左右に忙しなく尻尾を揺らして上機嫌のようだ。
その様子は親の帰りを待つ子供そのもの。忙しなく動き回る様はむしろ落着きがない。
がちゃり。
玄関で音がした。どうやら誰かが帰宅したようだ。
その音を聞くや否や一目散に駆けて行く。一秒でも早く会いたかった。
主の想いに応えるために。
自分の主を迎えるために。
そして、届けるために、自分の気持ちを。
めいっぱいの笑顔で。
了