風が吹き抜けてゆく。
追い風に押されながら歩を進める。
緩やかな傾斜を自分の足でしっかりと踏みしめる。
一歩。また一歩。
目指すは思い出の場所。
地面の確かな感触を感じながら上ってゆく。
鳥の囀り。草木の匂い。流した汗までも気持ちいい。
天高く上った太陽が、地面に影を映し出す。豊かに葉を繁らせた木々たちが、地面に表情豊かな模様を描き出す。
辿り着くと、一気に視界が開けた。そこは思い出の場所。クリスマスの夜にお別れをした場所。
季節は廻って今は初夏。来る夏本番に向けて英気を養う蝉の様に、辺りは静寂に包まれていた。
「ふー……」
高台は綺麗だった。雲一つなく晴れ晴れとしていた。
「ここはいつ来てもかわらんな」
変わらない風景。変わらない町並み。ただ一つ変わった部分があるとすれば、彼女が旅立ってから数年が過ぎたということ。
「もう随分経ったんやね」
はやては空を見上げながら呟いた。そして、近くの茂みへ足を踏み入れる。踝を撫でる葉先が心地よい。
「聞こえてるか? リインフォース」
はやては茂みへ腰を下ろすと、おもむろに語りかけた。
「私な、今日が誕生日なんよ」
誰も居ない空間へ、そっと微笑む。微笑みながら思いを巡らす。これまでのこと、これからのこと。
「その内みんなも集まるからちょう待っててな」
今日集まるのはもちろんはやてだけではなかった。はやての家族達、八神家全員が今日この場所で集まる予定になっていた。だが、彼女達にはもちろん管理局での仕事があるため、集合時間は特に決めておらず、終わった順に集まろうということになっていた。
「なあちょう聞いて欲しいんやけどな」
はやてはそっと空を見上げた。
「この間な、ヴィータとリインがアイスを食べてたんやけどな。何でかわからんけど、二人共いつの間にかどっちがたくさん食べられるかー、みたく競争になったんや」
はやては手元の草花を撫でながら続けた。
「そしたらな、最終的には二人共お腹こわしてもーて。その後二人共ソファーでうんうん唸ってて、大変やったんや」
にっこり微笑んで空に語りかける。
「ま、看病しとったんはシャマルだけで、シグナムとザフィーラは呆れとったんやけどな」
言い終えると、はやてはあはは、と苦笑する。
こうしているだけで楽しかった。他愛無い話をしているだけで心が安らいでいく。
そして、改めて気付く。大切な家族に包まれているということに。
「はやてちゃーん!!」
遠くから声が聞こえた。呼ばれたはやては後ろを振り返り、立ち上がった。緩やかな山道の下には家族の姿が見える。
「リインー、皆ー。こっちやでー」
はやては背伸びをして手を振った。それを見たリインフォースUは、手を振り返しながら飛び出した。
「おい、抜け駆けはずるいぞッ」
空を蹴って飛び出したリインフォースUを見たヴィータは、負けじと走り出した。
「二人共、そんなに急いだら危ないわよー」
末っ子達のやんちゃぶりを見たシャマルは微笑みながら嗜める。
「ふー、元気がありすぎるのも困りものだな」
「まったくだ」
腰に手を当てて嘆息するシグナムに、子犬フォームのザフィーラが同意した。
そして、彼女達も飛び出した二人を追いかける形で高台を目指し始める。
彼女達の様子を見守っていたはやては、再び後ろを向き直った。
「あははー、ごめんな。これからちょう騒がしくなるやろーけど許してや」
空を見上げながらはやては苦笑を浮かべる。だが、それでいてはやての表情はどこか嬉しそうだった。
はやてはそのまま踵を返して茂から足を踏み出した。その時だった。踏み出した足が地面に着くのと同時の出来事だった。
風が吹き抜けた。
追い風だった。
緑の絨毯が波立ち、ゆったりと木々の葉が靡いた。その風ははやての後ろ髪をそっと撫でていった。
あたたかい初夏の薫りがする風だった。
はやては流された後ろ髪を直すのも忘れて、呆然と立ち尽くしているだけだった。
瞬きも出来ずにただじっと風が流れていった方向を見つめていた。
そして、俯きがちにぽつりと呟く。
「……ありがとう」
目の奥が熱くなる。一筋の線がはやての頬を伝う。
一陣の風は多くは語らなかった。
過ぎてみれば一瞬の出来事だった。
だがそれで十分だった。
はやての耳にはたしかに聞こえた。
彼女の想いははやてにしっかりと届いた。
幻ではない、確かに起こったささやかな出来事。
はやての耳にはいつまでもその声が残っていた。
――誕生日おめでとうございます。我が主。