「ハラオウン家の非日常」                著 メイプル

 

 高層マンションの一室。陽気な気温が心地よい眠気を誘う昼下がり時。暖かい日差しが差し込むリビングでは、一家団欒皆でカップを片手に一休み。

 ハラオウン家では珍しくない午後のお茶の時間である。

 特に決めている訳ではないが、常日頃この時間帯になると、手を休めて、自然と皆足がリビングへと向かうようである。

 この日もそうであった。何気なく集まって、気ままにカップにお茶を注いでいた。意識するまでもなく、いつもと同じ、いつも通りの楽しい時間になるはずだった。

 皆が思い思いのお茶をカップに注ぎほっと一息ついている時であった。

 突如訪れる戦慄。それは暴力的に彼らの思考を奪った。ある人物が取った行動は彼らの思考を停止させるのに十分すぎるほどであった。それほどまでにその動作が、彼らの目には異常な行動に映ったのだ。

 一瞬の出来事であった。

 本人にとってはいたって普通の行為だったのだろう。

 しかし、単純にお茶を淹れて飲むという至極当然の動作がその人物に似つかわしくないのだ。

 その場にいた全員の挙動が止まった。皆、恐れおののいて身動きがとれないでいる。

 誰もが予想だにしなかった事態が起こったのだ。

 

「そんな……まさか、母さんに限ってそんなこと……」

 

 クロノの声が震える。喉が引きつって上手く呼吸が出来ない。

 

「嘘だよね……、母さん……?」

 

 目がキョドり、フェイトは爪をがちがちと噛みだした。

 

 アルフとエイミィに至っては、互いに抱き合い震えている。

 

「ウソだろ……?」

 

 アルフは尻尾の先まで脱力した。

 

「まさか」

 

 クロノは息をするのを忘れて凝視する。

 

「母さんが」

 

 全身の毛が逆立ったようにフェイトは怯えた。

 

「お茶を」

 

 エイミィは目を見開く。

 

「「「「ストレートで飲むなんてーー!!」」」」

 

 その叫び声はマンションの一室から発散された。

 

 

「実はね、母さん歯が痛いのよ」

 

 今回の騒ぎの中心人物であるリンディは落ち着いた口調で話し始めた。

 リビングは再びティータイム。皆はソファーや椅子に腰を落ち着けリンディの話に耳を傾けている。淡々とした口調でリンディは話を続ける。

 

「もしかしたら虫歯かもしれないのよ」

 

 心底不安げな表情でリンディは頬をさすった。

 

「はー、それは早めに歯医者さんに行ったほうがいいんじゃないでしょうか」

 

 エイミィの提案にリンディは大きなため息を吐いてうつむいてしまう。

 

「それは無理よ」

 

 きっぱりとした口調でリンディは断りを入れる。

 

「どうして?」

 

 不思議に思ったアルフが小首を傾げた。

 

「だって……怖いもの」

 

 一同から深いため息が漏れた。無理もない。いい大人が歯医者が怖いから行きたくないと言うのだ。これがかつて一隻の艦長を務めていた者の言うことだろうか。呆れ返って誰も口を開こうとしない。居たたまれなくなったのだろうか、リンディは再び口を開いた。

 

「だから糖分を控えようかと思ってね」

 

 がたんっ!

 大きな音を立て、クロノは椅子から突然立ち上がった。周囲の目線が一人の少年に集まる。

 

「そんなの母さんじゃないよ」

 

 唇を噛みしめてクロノは呟いた。

 

「そうだよ」

 

 クロノに呼応するようにフェイトはゆっくりと立ち上がり、強い口調で言葉を続けた。

 

「砂糖を入れないお茶はただのお茶なんだよ!」

 

 リンディは口を開けたまま微動だにしない。時折何か言いたげに口をぱくぱくとさせるだけだ。

 

「フェイトの言う通りだ、母さんから砂糖を取ったら一体何が残るって言うのさ」

 

 クロノはフェイトの後を括った。二人は互いに視線を交え、満足げに頷きあったりしている。

 そんな様子を見ていたリンディは我に返って口を挟んだ。

 

「……そろそろ怒ってもいいかしら」

 

 手は握り拳を作り、顔には引きつった笑みまで浮かべている。

 

「一体どこで教育を間違えてしまったのかしら」

 

 日頃尋常でない量の砂糖を入れている辺りではないだろうか。

 

 

 数日後、いつものお茶の時間にまたそれは起こった。

 戦慄再び。

 数日前までのその人物の行動を見ていた者なら当然の反応だろう。

 

「そんな」

 

 エイミィは愕然とした。

 

「まさか」

 

 信じられない物でも見ているかのようにクロノは狼狽した。

 

「母さんが」

 

 フェイトは何かに怯える小動物のように体を強張らせている。

 

「お茶に」

 

 今にも泣き出しそうな声でアルフは言った。

 

「「「「砂糖を入れてるーー!!」」」」

 

 その衝撃は天を貫いた。

 

「一体どういうことなの、母さん!」

 

 クロノはリンディに詰め寄った。

 

「実はね」

 

 リンディは含み笑いを浮かべた。

 

「親知らずが抜けたのよー」

 

 実に朗らか、見ているほうが清々しくなるくらい爽快だ。

 

「まだ残っていたなんて全然思わなかったからびっくり」

 

 申し訳なさなど微塵も感じさせない程の満面の笑みを見せる。

 

「「「「な、なんだってー!!」」」」

 

 驚愕の事実、というより拍子ぬけな真実。

 そしてまた今日もお茶の中には大さじ一杯の砂糖が投入されていく。