いつからだろうか。

 

あなたの視線を感じなくなってしまった。

 

常に感じていた背中の視線。

 

その優しい目線。力強い視線。頼ってくれる眼差し。

 

いつからだろうか。

 

その視線が消えてしまったのは。

 

いつからだろうか。

 

あなたを後ろから見上げるようになってしまったのは。

 

頼ってほしい。守ってあげたい。力になりたい。

 

そしてなによりあなたの傍にいさせて欲しい。

 

いつからだろうか。

 

あなたの存在が遠のいてしまった……。

 

『空虚へ響け、悲しき咆哮』

 

 空間が弾けた。

 眼前に張った防御結界が衝撃に撓む。アルフは結界を解くと、後ろへ跳び退いた。

 敵の数は複数。砲撃魔導師と近接戦闘型の魔導師がコンビを組んだバランスのよい陣形。近接戦闘だけならともかく、遠距離からの狙撃がアルフの体力を確実に奪っていった。

 

(さすがにこの人数相手じゃ凌ぎきるのはきついかもね)

 

 口の中で呟いて気がつく。

 

「はは、凌ぐだなんて。そんな弱気でどうすんだか」

 

 自分で自分を罵倒する。

 掌を硬く閉じて、握り拳を作った。口元を結んで敵を睨みつける。

 一気に跳躍した。

 敵めがけて一直線。それに気づいた敵は、防御魔法を形成した。しかし、アルフは接近速度を緩めない。むしろ加速する勢いで突進していく。

 

「バリア――」

 

 アルフの拳が敵のバリアに触れた。と、同時に瞬く間にバリアにひびが走った。

 

「――ブレイクーー!!」

 

 敵の生成した防御魔法は硝子細工の様に砕け散った。貫通した拳はそのまま勢いを殺すことなく敵の懐へ深く捻じ込まれる。その衝撃に敵は嗚咽を漏らしながら後方へと吹っ飛んでいった。

 

「よっしゃ、一丁上がり」

 

『バリアブレイク』。それはアルフの最も得意とする魔法であった。敵が形成した防御魔法に触れて干渉をかけ、一瞬の内にしてバリアを分析し、プログラムに割り込みをかける。その際に魔力を強引に流し込むことにより、バリアは状態を保てなくなり破壊される。ただし、強固なバリアほど破壊するのには時間を要する。その間は必然的に動きを止めなければならないため、あまり多用するには危険な技でもあった。

 何個目かのバリアを粉砕した時だった。アルフの視界に後方支援に努めていた砲撃魔導師の姿が現れた。

 ここぞとばかりにアルフは飛び出した。先程から遠く離れた場所からの支援砲撃がよほど頭にきていたようだ。

 

「はぁあああっ!」

 

 一気に拳を叩き込む。展開されたシールドが撓んだ。そしてそのまま破壊されるかと思われたが、伸びた。シールドがゴムでできたかのように伸びた。アルフの拳と突進力は上手い具合に吸収された。

 敵はアルフのバリアブレイクに合わせて、自身の魔力を粉砕覚悟でシールドに流し込み、強引にシールドの強度と材質変更を行った。一歩タイミングがずれれば、もしくは一つ手順を間違えれば自分でシールドを破壊しかねない大博打であった。にもかかわらず行ったところから察するに、相当魔力の運用に関して自信を持っているのだろう。事実、アルフのバリアブレイクは完全に防がれた。

 

「えっ――」

 

 自慢の技を防がれたアルフは驚嘆の声を漏らす。だが、呆気に取られている時間はなかった。

 伸びたシールドはアルフの突進の勢いを完全に殺したのみらなず、そのままアルフを包み込む様にして変形した。

 

「くっ、捕獲魔法!?」

 

 正方形型に変形したシールドはアルフを丸々包みこみ中に閉じ込めた。

 アルフは必死に中から抵抗を試みるが、叩いても蹴ってもびくともしなかった。強固なケージは内側からの物理的衝撃を全て吸収している。

 

「今だっ!」

 

 敵が叫んだ。

 合図を聞いたその仲間が高速でアルフに接近してくる。手には剣らしき鋭利なデバイスが握られている。

 

(まさか……!?)

 

 全ては最初から狙われていたのだろう。遠距離支援の魔導師が先ずはアルフを誘き出し、捕獲。その後は近接戦闘に長けた味方がじっくりと痛めつけるという狙いだったのだろう。

 それに気づいたアルフは軽く舌打ちをした。だが、今となってはもう既に遅かった。軽率な自分の行動を反省したところで状況は好転しない。このまま諦めるしかないのだろうか。

 敵のデバイスの射程圏内に入った。ソード形のデバイスが振り下ろされる。ソードに光が反射して艶めかしくぎらつき、恐怖感を余計に煽られた気がした。

 切っ先がアルフに届こうとする。

 アルフが完全に諦めた時、視界が一瞬閃光に包まれた。

 直後デバイスとデバイスが激しく拮抗する音がアルフの鼓膜を揺さぶった。

 閃光に眼が眩んだアルフはゆっくりと瞼を押し上げた。

 視界にいたのは見慣れた後姿。輝かしい金色の髪をサイドで結び、漆黒のマントを羽織った凛々しい佇まい。その手には頼もしい戦斧が握られている。

 彼女の主は優しい声色で言った。

 

「ごめんアルフ。ちょっと遅かったかな」

 

 後ろを振り替えらずに敵を見据えたまま謝った。背中で語る姿はそれだけで頼もしかった。

 フェイトが手にしたバルディッシュは火花を散らしながら敵のデバイスと接触していた。

 

「うぉおおお!!」

 

 敵が力任せにバルディッシュを押し返した。

 

「――くっ……」

 

 フェイトは手にしたバルディッシュでなんとか持ちこたえたが、やや圧され気味であった。

 

(まさか、フェイトが圧されるなんて……、っ!!)

 

 アルフは異変に気がついた。フェイトがこの程度の近接戦闘で遅れを取るはずがなかった。ならば考えられることは一つ。フェイトに何らかの異変があるかもしれないということだった。

 案の定フェイトは怪我をしていた。右手の二の腕を負傷していた。微かな掠り傷ではあったが、出血している様子は痛々しかった。

 

「フェイト! 怪我してるじゃないか。私を庇ったせいで……」

 

 アルフの悲痛な叫びを聞きながらフェイトは何を思っていたのだろうか。

 フェイトは右手の傷を庇いながらも、敵を圧し戻した。敵との距離が開くと、相棒の戦斧に命令を下す。

 

「バルディッシュ」

Haken Form

 

 命令を受けたバルディッシュはカートリッジを一つロードする。

 薬莢を排出しながら変形していく。戦斧の先端が直角まで開き、そこで停止する。その後魔力で形成された刃が出現した。鎌の姿を思わせる形態に変形すると、フェイトは敵めがけて振りかざした。

 

「はぁああーー!!」

 

 半実体化された魔力刃が敵に命中する。バリアジャケットをものともせずにそのまま振り貫いた。

 敵は鈍痛に苛まれながら地面へと降下していった。

 それを見た砲撃魔導師は一旦アルフの捕獲魔法を解いてから、砲撃体勢に入った。どうやら捕獲と砲撃の同時運用はさすがに無理なようだ。

 敵のデバイスに魔力が注がれていく。それをフェイトが黙って見ているはずがなかった。コンマ数秒で間合いを詰めると再び一閃。デバイスを真っ二つに切り裂いた。

 注がれた魔力は行き場を失い暴発。使い手を巻き込んで爆発を起こした。

 数秒の間に敵を撃墜したフェイトは、そこでやっとアルフの方へ振り向いた。

 

「このくらいの傷どうってことないよ」

 

 フェイトは右手で力瘤を作りながら、優しく微笑む。その動作はフェイトには似合わなかった。心配を掛けまいと無理をしているのだろう。事実、少し顔を赤らめていたりする。

 だが、優しくされればされるほど、気を遣われれば遣われるほど、今のアルフの心はきりきりと痛んだ。

 

「ありがとう、助かったよ」

 

 それでも無理に笑って、取り繕った。今は弱気な姿なんてとてもじゃないが見せられない。

 

「無理しなくていいよ。また危なくなったら私が駆けつけるから」

 

 それだけ言うと、フェイトはまた別の敵へと向かって行ってしまった。

 取り残されたアルフは俯いてしまった。

 

(あたしは何をやってるんだ……)

 

 フェイトを守る使い魔という立場にありながら、守られてしまった。おまけにフェイトに怪我までさせるという大失態。取り返しのつかないことをしてしまった気がした。

 

――このままじゃだめだ!

 

 アルフは前を見据えた。その瞳には不安と焦りが垣間見える。

 

――早く敵を多く倒してフェイトに楽をさせないと……。

 

 そう考えてるアルフの眼前に敵の姿が飛び込んできた。

 アルフは敵影を発見するやいなや、飛び出していった。その姿からは焦りの色が窺える。

 敵陣に飛び込んだアルフは闇雲に突進していく。拳を振り回し、がむしゃらに攻撃を叩き込む。

 立ち回りも状況把握もあったものではない。眼に入った敵にただ飛び込んでいくだけの荒っぽい戦闘だった。

 そんな戦い方をすれば当然隙だらけになる。目の前の敵に夢中になっているアルフは突如背後に砲撃を喰らった。

 

「がっ――!」

 

 背中の衝撃にアルフはよろめいた。体勢を崩されたところに畳み掛けるように近接戦闘陣営が襲ってきた。

 

「あたしが……」

 

 眩むような意識の中で思い浮かぶのは一人の少女。それは自分の存在意義。自分の全て。彼女を守ることだけが自分の使命だと思ってきた。だが、それが打ち砕かれようとしている。

 

「フェイトを守るんだよぉおおおーー!!」

 

 悲痛な叫びはしかし敵には意味を成さなかった。

 遮二無二戦い続けたが、次第にアルフの意識は遠のいていった。

 

■□■□■

 

 目を覚ました。

 見たことはあるが、あまり見覚えのない光景。

 白い天井だった。

 少し視線を周りに向けてみる。

 白を基調とした部屋には様々な医療機器が設置されている。

 アルフは身を起こそうとして――

 

「っく……!」

 

 痛みに身をよじった。

 そして自分の現状を理解した。

 

(そっか……あたし気絶したんだっけ)

 

 情けなさに腹が立ってくる。

 先の戦闘を思い出して猛省する。感情に流されて敵陣に突っ込んでしまったのだ。怪我をしたって文句を言えた立場でないことは重々承知している。フェイトを守る為に自分は戦っていたのに守られるだけでなく、挙句気絶して病院送りだなんて本末転倒だ。これではフェイトに会わす顔がない。

 アルフが自分の失態を責めていると、病室の扉を遠慮がちに叩く音がした。

 

「……どうぞ」

 

 覇気のない声でアルフはドアに答えた。

 ドアがゆっくりと開かれる。入ってきたのはフェイトであった。

 

「――フェイト!」

 

 あまりに予想外な来客にアルフは素っ頓狂な声を上げた。いや、少し考えればフェイトがアルフの容態を看に来ることくらいは容易に想像できそうなものであるが、アルフには精神的な余裕がなかった。

 

「アルフっ!」

 

 フェイトはアルフの姿を捉えると、堪らず駆け出してアルフの傍まで近寄った。

 そしてアルフにすがりついた。

 

「体はもう大丈夫なの!? どこか痛いところとかない?」

 

 泣き叫ぶようにアルフに尋ねた。

 

「うん、大丈夫だよ」

 

 アルフは心配掛けまいと強気に答えた。事実傷の具合は思ったより軽いようで、直ぐにでも現場復帰は可能な状態であった。

 

「ホントに?」

「もちろんさ。頑丈なのがあたしの取り柄だかんね」

 

 それでも心配するフェイトに対して、アルフは腕をぐるんぐるん回して見せた。

 フェイトは苦笑しながらも安心してくれた様で、険しい表情を崩してくれた。

 

「でも無理しないで、今回はゆっくり休んで」

「そんなこと言ってらんないよ。このくらいの傷どーってことないって」

 

 それでも休ませようとするフェイトに対して、アルフはがばっとベッドから跳ね起きた。今は休んでる場合ではない。いち早く現場に復帰して、またフェイトの傍でサポートしなければならない。そして早く信頼を取り戻さなければ……。

 

「だめだよ、無理したら」

 

 しょうがないなぁという感じでフェイトはアルフの鼻先を小突いた。アルフは困った。フェイトは一度言い出したらなかなか考えを改めてくれない、少々頑固なところがあるのだ。その場しのぎの説明では引き下がってくれそうにないことは明らかだったため、どう納得してもらうか悩みどころである。

 アルフがどう言ったらフェイトが納得してくれるか思案していると、フェイトは急に表情を崩して笑い出した。

 

「え? どうしたのさフェイト」

 

 アルフは訳がわからずに口をぽかーんと開けている。クエスチョンマークがアルフの頭上を飛び交っていると、フェイトがようやく口を開いた。

 

「わかってるよ、アルフが我侭なことくらい。昔は私に甘いところがあったけど、今じゃ譲らないところはなかなか譲ってくれないもんね」

 

 そう言ってフェイトは苦笑した。

 

「なーんだ、そういうことかー。でもあたしはフェイト程我侭じゃないかんな」

 

 お互い様だったようで、アルフは安心した。朗らかに笑いながらも今度はフェイトの揚げ足を取った。

 

「そ、そんなことないもん」

 

 揚げ足を取られたフェイトは顔を赤らめて、動揺した。

 

「どうだかなー。昔は散々フェイトの我侭に付き合わされたもんだ」

 

 口元をにやりと吊り上げてアルフはいやらしい笑いを浮かべた。どうやら取った揚げ足はそう簡単に放すつもりはないらしい。

 

「あ、アルフだって昔はいろいろと……。それに私はアルフがこーんな小さい頃から面倒看て来たんだからね」

 

 余程動揺したのだろうか、フェイトは最早関係の無い事柄を引っ張り出してきてアルフに対抗しようとする。

 

「そんな昔のことを言われてもね」

 

 アルフはやれやれとジェスチャーをして見せて、でもと言葉を続けた。

 

「そんなフェイトの我侭に付き合うのも嫌じゃなかったけどね」

 

 アルフは明るく笑った。その笑顔には嘘はなかった。

 

「う……急にそんなこと言い出すなんて、ずるいよ」

 

 フェイトは頬を膨らませて怒り出してしまった。

 

「とにかく、あまり無理しない程度にね」

 

 最後に念を押すと、じゃーねと言いながらフェイトは退室していった。

 フェイトが退室したのを見送ったアルフは、ベッドの上で一人にやけていた。

 

(フェイトもまだまだ可愛いところがあるじゃんか)

 

 などと口元の締まらない表情でいた。

 

「……だった? アルフの……」

 

 ふとアルフの耳に微かに会話が飛び込んできた。

 

「思ったより良いみたい」

 

 どうやら病室の前で誰かが話している。おそらく先程出て行ったフェイトであろう。では相手はいったい誰なのだろうか。アルフは興味に駆られて、いけないとは思いつつ廊下の会話に意識を集中させた。

 

「強がりじゃないのか」

 

 もう一人の人物が心配した声色でフェイトに尋ねた。声から察するにフェイトの兄、クロノで間違いないようだ。

 

「ううん、私も最初はそうかと思ったんだけど。ホントに傷のほうは大したことないみたいで、一安心かな」

「そっか」

 そこでクロノは安堵のため息をついた。

 

(ひょっとしてあたしのことを話してるのか?)

 

 アルフの予想が正しいとすれば、クロノはひどくアルフの身を心配していたようだ。普段から無愛想な表情をしているクロノではあるがこう見えて割りと心配性な性格なのだ。だが、普段が普段なのでなかなか人に伝わりにくいのが可哀想ではある。

 

「それはそうと、大事な相談があるんだが」

 

 咳払いを一つしてからクロノはフェイトに話し掛けた。少し改まった雰囲気にアルフは少し緊張する。

 

「ん? どうしたの」

 

 突然改められたからだろうか。フェイトは少々困惑気味に尋ねた。 

 ここで少し間が空いた。いったい何が起こるというのだろうか。アルフがそわそわしだすと、廊下の外でクロノがようやく口を開いた。

 

「今後のアルフについてなんだが……」

 

 アルフははっとする。クロノは声を潜めていたので、正確に聞き取れたかは定かではないが、聞き逃せない話題であることには違いない。

 アルフは急いで、だが音を立てないように細心の注意を払いながらドア越しまで近づいていった。壁に身を預けてより正確に会話の内容を聞き取る為に耳をそばだてる。

 

「うん、私もクロノに話そうと思ってたんだ」

 

 どうやらフェイトもクロノと同じことを考えていたらしい。クロノの切り出した会話に同意した。

 

「アルフは前線から外れたほうがいいと僕は正直思ってる」

「やっぱりクロノもそう思ってるんだ」

 

 アルフは愕然とした。そして我が耳を疑う。今クロノは何て言ったんだ。そしてフェイトは何て相槌を打ったんだ……。

 

「そんな……」

 

偶然にも二人の会話が耳に飛び込んできてしまったのがアルフにとっての災難であった。

 アルフは全身から力が抜けたようにがっくりとうな垂れてその場に座り込んでしまった。

 

(フェイトがそんなこと考えてたなんて)

 

 最早アルフの耳には廊下で話す声が届いてなかった。

『やっぱりクロノもそう思ってるんだ』、この言葉のみがアルフに重く圧し掛かる。

 やはり今回の戦闘が原因なのだろうか。主人を守ることができなかった失態は自分が思ってる以上に深刻で、取り返しのつかないことなのであろうか。

 それに、前線から外されるとは具体的にはどうなってしまうのだろうか。もはや戦闘では必要ないのだろうか。

 

(そうだとしたら、あたしって何の為に生きてるの……)

 

 自分の主人を、フェイトを守ることができない自分は最早存在してる必要が無いのではないだろうか。

 何の為に生きればいいのか。生きる目的を失いつつアルフはただただ途方に暮れていた。